完璧主義だった自分が適当になった話
自分は高校生の頃まではけっこう完璧主義者だった.
勉強はちゃんと予習するし何か予定がある場合にはしっかりと準備を行う人間だった.
そんな自分がいかにして他人から「適当っすね〜」と言われるまでになったか.
1.価値観の崩壊するような出来事を経験する
自分の場合,高校の三者面談での出来事だった.詳しくは書かないけど.
今まで自分が意識的にせよ無意識にせよ信じて行ってきたことを全否定されるような出来事を経験する.
あるいは,自分が全く意識せず自然と行っていたこをがなんでか分からないけれど評価される.
そんな経験をすると「あれ?自分がやってきたことって何だったんだろう?」ってなって価値観ががらがらと崩壊.適度に手を抜いて生きていけるようになる.悪く言えば,どの程度であれば大丈夫なのかを知ってしまうってことかもしれない.
2.やりたいことだけやる
言うのは簡単だけどなかなかね〜,と言われてしまいそうだがやりたくないことをやらなくても案外世の中どうにでもなるものである.
そこに対して罪悪感みたいなものを「勝手に」考えてしまうから面倒なのだ.
自分が心からやりたいこと,興味あること,ワクワクすることを優先的にやる.そうすると他者からの評価とかすっかり忘れてしまうものである.
そうすると完璧を目指そうなんてことにはならない.
しかも,仮にうまくいかなくってもけっこう満足できるのである.なぜなら自分なりにベストを尽くしたと思えるから.
3.うまくいかなくても自分は死なない
深く悩まないことである,「どうせ上手くいかなくても死ぬわけじゃない」って考える.「どうせダメでも世界が終わるわけじゃない」って考える.
これは高校時代の担任が言っていたことなのだが,どうせ受験に落ちても死ぬわけじゃないからあれこれ不安になるな,っていう話.
別にそれで人生が終わるわけでもないし.起こるかどうかも分からない心配をするよりも今やりたいこと・やらなきゃいけないことに集中することが大事なのだと思う.
ここまであまり考えることなく適当にずらずらと書いてみた.
「適当人間になったら周囲に迷惑かけるんじゃないか!?」と心配してしまう人もいるかもしれない.でもでも,今まで完璧人間だった人が,まして周囲への迷惑とか考えるような人が,いきなり超絶適当になれるとは思えない.
むしろ「程よい適当人間」になれるんじゃないだろうか.多分それぐらいがちょうどいいだと思う.